『younghood』という自主企画が終わり、深く暗くなった帰り道をミルクコーヒーを飲みながら友達と歩いている。非日常感を抜け出し、日常へと戻っていくのだ。

大きな想像力を持って、たくましい知性を備えた半年間はこの日のために存在していたのかもしれない。不思議な電子音で組み立てられた音楽たちは仲間とともに大きな怪物と対峙し、平行世界へと飛び出した。おおよそそれは冒険で、青春で、ロマンスである。それはぜったいに、革命なんだ。

大きく膨れ上がってしまう感情を簡単にまとめてしまえば、こんな感じだろうか。

photo by @y_u_u_r_o

このライブの構想を立てたのは半年前。プロジェクトとしてしっかり文章に起こしたのはもっと最近かもしれないけれど、頭の中にぼんやりとあって、イベントをやりたいなと思っていたのはそのぐらいだと思う。ライブはあまり得意な方ではなかったから(自宅で音楽を作ってウェブで発表する方が日常的だったから)、ライブを企画することは僕にとって結構な覚悟が必要だった。それでもイベントをやろうと思ったのは、EP制作の影響が大きい。今ままでシングル中心の制作だったが、個人名義でのフルEPを作ってから、誰かに聴いてもらいたいという思いが一層強くなった。それは不特定多数というよりかは、いつもお世話になってる先輩や、友達、大好きな仲間に聴いて欲しかった。というのも、いい音楽はその人の人物像をありありと映すから、不特定多数に語りかけるよりも友達や自分自身に語りかける方がいいと思ったからだ。レーベルの人から自主企画をやらない?と声をかけられたのが一番直接的ではあったけど、そういう気持ちがずっとあったからやる気になれたんだと思う。

企画はもちろん、フライヤーの作成、ウェブ、動画制作、事務連絡、ブッキング、コンセプト、マーケティングも全て一人で行った。企画に関してしっかり腰を入れて企画を始めたのは企画開始の2ヶ月前ほど。クリエイティブとマーケティングの両方が混在する2ヶ月となった。もちろんこの二つの軸は全くの別軸で、一方を失ってはもう一方も失うという形で、両方を持ち合わせていなくてはいけない。そのバランス感覚がすごい重要なのは僕も知ってる。

younghood フライヤー

自分のやりたいことをやりたいようにできるはメリットだし、今まで僕はそうやってきた。結局、楽曲制作の感覚や僕の歌詞観は自分の中の深くにある感情を取り出すような作業だから、それを対外的に説明するとなると難しくて、(できなくはないが手間がかかってしまうため)僕はいつも一人で作業をすることを好む。特にクリエイティブでは。

だが、どんなものでも大きくなれば、やがて実がなり背丈も大きくなっていく。個人では支えきれないことが増えてくるかもしれない。自分の音楽が他の人のライフワークになるかもしれないこと。ライフワークがライスワークとしても捉えることができ始める時期のこと。

ありがたいことに「将来は音楽一本でやっていくつもりはありますか?」という質問をいただく機会が多い。大変に有難いのだが、この手の質問に関して僕はうまく答えることができないのことの方が多かった。それは話し下手だからとか、遠慮してるとか、そういうのじゃない。もっと難しい問題だ。この問題に関しては言語化が難しく、ずっと僕の中の奥底に大きなモヤみたいのが存在していて取り出せずにいた。僕の軸は沢山あって、それぞれが僕を自己確定しているから、音楽一本に絞ってしまうことに恐怖感があった。ライブ活動やパーティー、そして音楽界に対しての大きな野心も特にはないからだ。

僕が職業的音楽家に向いてるかは正直言ってわからない。音楽的センスがあるだとか、才能があるかどうかもわからない。ただ、僕は生活の中に音楽があって曲を作っているという事だけは事実だ。音楽で消化せねばならない気持ちがあって作り続けているのは事実だ。音楽以外に僕にはその気持ちを表現する方法がないからだ。文章でしか言い表せないものだってあるし、動画にしたいものもある。ただその感情だけは音楽以外に表現方法が思い浮かばなかったのだ。そう考えると僕は楽になれた。

岡村靖幸「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」とPUNPEE「タイムマシーンにのって」を聴き、暗くなりつつ帰り道を歩きながら、サンドイッチを頬張る。そして遣る瀬無い情動を歌詞におこして録音するんだ。そういう日常が僕は好きになっていたし、これからもそうなんだと思う。多分、これはぜったいに。

でも僕は今もこれからも、ずっと一人で舵を取り続けることは現実的に大変難しいことなんだと思う。

村上春樹は『海辺のカフカ』で、大島というキャラクターにプラトン『饗宴』に出てくるアリストファネスを引用させ、次のように書いている

「昔の世界は男と女ではなく、男男と男女と女女によって成立していた。つまり今の2人分の素材でひとりの人間ができていたんだ。……ところが神様が刃物を使って全員を半分に割ってしまった。……人々はあるべき残りの半身をもとめて、右往左往しながら人生を送るようになった。神様のやることはだいたいにおいてよくわからないんだ。怒りっぽいし、、あまりに何というか、理想主義的な傾向があるしね。………とにかく僕が言いたいのは、人間がひとりで生きていくのはなかなか大変だということだよ 

常にデジタルの中で分断された僕は、切断と縫合を繰り返している。誰にも邪魔されず自分の好きなことをやりたいときにたまに孤独になりたくなる時があるけど、半身である僕らは常に不完全なのかもしれない。その不完全を受け止めなきゃいけない。理想主義になりすぎず、幻想を捨て、森を抜け出さなければならない。

今回のイベントでは、それを十分に感じたかな。お互いにリスペクトし合い、自己実現できる場が常にあること。このシステムの中で自分を開拓していかなくちゃならない。

もちろん舵をきるのは自分次第で、僕の心だけど、その中にはたくさん分断された僕がいる。そこには、たくさんの人の思いや、想像力や、力が詰まっている。だから組織の力はとても大きくて、何もかもが個人で完結することは決してないんだと思う。

だから僕らはちゃんと自分が無知であることを自覚しなくてはいけない。情報の洪水に呑まれないようにね。立ち止まる勇気と勇敢な想像力の引き出しを自分で知っていること。本当に大事なことは、自分のしたいことを自分で知っているということなんだよ。