僕にとって2019はどんな年だったか。”ぼくのベストタイトル”という自分の作ったプレイリストを聴きながらこの記事を書いている。

これは今年を振り返る時間であり、決して過去に向けた単なる懐古ではない。と思っている。自分がどんな作品に出会い、どんな作品を作ったか、といった自分の中の価値を醸成するための内省の時間だ。この作品は特にここがよかった、、と要所で一人で呟きながら振り返っている。

プレイリストの楽曲はどれもが印象的だったが、今ここでは星野源の作品について触れようと思う。星野源が今年出した新作『Same Thing – EP』の「さらしもの feat.Punpee」で彼はこう綴った。

”さらしものだよばかのうた 語りき埼玉のツァラトゥストラ

さらしもの

と自身を埼玉のツァラトゥストラと自称している。『ツァラトゥストラ』の第一部は、次のような三つの変身の物語で始まっている。 

「どのようにして精神は駱駝(らくだ)となるか、またいかにして駱駝はライオンとなるか、そしてライオンはついに小児となるか」。駱駝とは荷を担ぐ動物である。駱駝は既成の諸価値の重圧を担い、また教育の重荷を、道徳とか文化・教養の重荷を担いでいる。駱駝はそうした重荷を担いで砂漠に向かい、そしてそこでライオンに変身する。ライオンは諸々の彫像を壊し、重荷を踏みにじり、あらゆる既成の価値の批判を断行する。そしてそのライオンの役目はついに小児となること、すなわち<戯れ>と新たなる始まりになること、新しい価値および新しい価値評価の原理の創造者となることである。

『ニーチェ』(ちくま学芸文庫)ジル・ドゥルーズ、湯浅博雄訳

星野源の変容そのものがツァラトゥストラと言える。星野源は重荷を担ぐのを諦め新しい道へ歩き出すことも重要なのだと説いているのだと僕は感じる。そして僕らがツァラトゥストラであるとしたら三つの変身のうちのどの位置にあたるのか?

またその一方で、ツァラトゥストラになりきれない道化のような存在も傍らには生まれている。世界というものはやはりバランスがよくできている。そして不覚にも、我々はその道化に憧れを抱いてしまう。強い憧憬とまではいかないが。しかしそれは同情でもなく、共感でもない。そんな不思議な感情を植え付けたのは映画「ジョーカー」の主人公アーサーだった。

アーサーはツァラトゥストラのようでツァラトゥストラではない。マスクを被り道化としてそれを演じるが真にヒーローのような存在ではない。

道化はツァラトゥストラのカリカチュアであり、ツァラトゥストラを模倣するけれども、それはちょうど重みが軽やかさを真似るようなものである。また、道化は侮蔑するが、彼の侮蔑は怨恨、すなわちルサンチマンに由来するものである。

『ニーチェ』(ちくま学芸文庫)ジル・ドゥルーズ、湯浅博雄訳
『失われた未来』、 木澤 佐登志

ルサンチマンはヒーローとは無縁の言葉だ。アーサーはルサンチマンを抱えながらダークヒーローとして注目を集めていく。そのルサンチマンが水面下の市民たちによって大きく膨れ上がり「ジョーカー」の主人公アーサーは虚無的な名声を得ることになる。

また、同年公開された映画「アス」でも膨れあがる悪や憎悪感をうまく表現していた。そのルサンチマンや憎悪感が表面上になる映画「ジョーカー」に対し「アス」は身体の内なるところからじわじわと悪が迫っていき一切表面化せず内面世界でのみ恐怖感が漂う。地下から現れたドッペルゲンガーにより闇の世界から這い上がってきた“影”の存在を通して、米国社会における分断や誰もが内面にもつ陰惨な部分をあぶり出しているのだ。

これらの優れた作品たち一見すると、世界はダークで、アンビエントで、とても大きな悲しい感情を持ち合わせている。『sad』や『bad guy』が楽曲でもムーブメントになったように。

そして僕は選択に迫られた。ぼくが楽曲を作る際、このsadのムーブメントを標榜して何かを訴えかけるのか。それともこの悲観的な世界を肯定する物語を構築すべきなのか。僕の中での答えは後者だった。恐怖の物語や悲しい物語はとても力が強くて大きな拡散力を持つ。不幸なことに、真実よりも恐怖の物語を構築しパッションで訴えかける方が多くの人に届くのだ。そしてポストトゥルースという恐ろしい概念が生まれた。世界はその恐怖の物語に煽られビックブラザー的な存在をもとめている。強き者が弱き者ねじ伏せ父性的なパワーで全てを統一するのだ。少なくともこれは僕の求めている世界線ではなかった。自分の伝えたい正しいことや倫理的なものはどうしても“sad”といったものに負けてしまうからだ。ではぼくは作品を作る上でどういったムーブメントをこしらえればいいのだろう。その答えの1つはユーモアだった。好きな小説の一説に”世界の人々を笑顔にするのは食とユーモアだ”と。そう教わった。美の抽象解釈としてアートや音楽をやり続けるのはもちろんだけれども、ぼくが信じる世界線を伝えるためにはその思想とユーモアを交通させる必要があった。でも残念ながら僕は人を笑わせられるようなユーモア特に持ち合わせていなかった。僕にできるのはやはり音楽しかなかった。日常忘れて、街の喧騒から逃れて少し自分を肯定してくれるようなもの。人々を幸せにすると言う意味での”ユーモア”は僕にとって音楽だったのだ。そして僕は潜世界という物語を構築することに決めた。音楽というユーモアを持って語りかけるのだ。少しでもいいから喪失を繰り返すこの社会に最適化されない、僕らが自由にいられる通路を担保する必要があった。その物語によってその通路を大きくすることができる。そうやって僕は『脱最適化的モーメント』なるものをこしらえることを決めたのだ。

これに気づいたのは本当ここ3ヶ月の間だったと思う。多分これはきっと音楽をしてなければ気づかなかったことだし、やろうとしようともしなかった思うよ。

これが1年間走り続けて見えてきた答えである、っていうか結果発表っていうか。では潜世界がどういうプロジェクトだったか、この1年僕は何をやってきたかなどまとめていこうと思う。この2019の世界の変容に比べれば大したこともないし、取り留めもないが、興味があればぜひ見てほしい。

okkaaa – EPをリリース

初のCD作品『okkaaa – EP』をリリース。初のフィジカルということもあり、諸々が挑戦だった。。自分自身がたくさん詰まった作品。

青年19が、このEPにはたくさん詰まってます。18と19をぐるぐるするのが一番幸せだと思わない?なんて、そんな感情が渦巻いてる。そして僕はそんな僕の奥底にある、とても深くの、形はない、不思議な感情と、決別する。一種のファンタジックにも思える幻想的な世界で、僕がたしかに音楽をやってる6曲です。今までの活動をまとめ上げるような、名刺のような、そんな一枚になっています。このEPが僕の青年19を語ってくれるはずです。耳をすまして。

https://www.okkaaa.com/ep

okkaaa on Twitter

New Vlog‼︎ 渋谷のタワーレコードに僕のCDが届きました。渋谷タワレコと言ったら、良質な新譜情報を手に入れる術として高校生のころたくさん通っていましたよ。そこに自分のCDを置いてもらえるなんて。。なんて贅沢だろう!! >>>https://t.co/rk7WgrWUGE https://t.co/0hTlhxz656

シングル総数10曲をリリース

2019年2月には楽曲「シティーシティー」がSpotifyのバイラルチャートにランクイン。2019年7月には楽曲「積乱雲」でSpotifyの新人発掘プロジェクト「Early Noise」、「キラキラポップ:ジャパン」のカバーを飾る。

キラキラポップジャパン

プロジェクト”潜世界”をスタート

——これは僕が試みる虚構、夢、記憶などを潜世界で分野横断的につなぎあわせる記録

潜世界 | okkaaa

新作『潜世界』のオフィシャルサイト。

okkaaaが7ヶ月連続リリースプロジェクトをスタート 第1弾『積乱雲』が9月25日より配信開始|プレイリスト&カルチャーメディア | DIGLE MAGAZINE

マルチクリエイターとして活躍するokkaaaが7ヶ月連続シングルリリースを発表。第1弾となる「積乱雲」が9月25日(水)に全世界で配信スタート。

連載

okkaaa選曲プレイリスト『街をあるくスーパーボーイ。』Friday Night Plans、竹内まりやなど|プレイリスト連載|プレイリスト&カルチャーメディア | DIGLE MAGAZINE

毎週更新のプレイリスト連載企画。今期待のマルチクリエーター・okkaaaがセレクトしたプレイリスト『街をあるくスーパーボーイ。』を今月4週に渡ってお届けします。

執筆

拡大するTypeBeat(タイプ・ビート)文化、その理由と具体的な活用

VIDEO

受賞

・TOKYO BIG UP!2019 審査員特別賞 受賞

>>>https://ototoy.jp/news/91756

インタビュー記事

https://mag.digle.tokyo/interview/bigup/22568

【INTERVIEW】okkaaa『okkaaa – EP』

新世代登場!という言葉が、インタビュー中に脳内で溢れていた。 都内在住の弱冠20歳の男子は、どんな表現がしたいか?という曖昧な問いかけにも、言葉を濁さずにハッキリと答えていく。その姿を見ていて、わたくし草野、ならびに今回カメラマンとして同行したオオシマトモヒロ(Sister …


ラジオ

  • NHKラジオ「ミュージック・バズ」
  • TOKYO FM「RADIO DRAGON-NEXT-」
  • TOKYO FM「WorldBPM」
  • J-WAVE 「SONAR MUSIC」

という感じ、かな。

「脱最適化的ムーブメント」の実装

ジェニー・オデルが記した『How to Do Nothing: Resisting the Attention Economy』は、この社会において「何もしないこと」を選択するということを説いた。大量消費社会、マクドナルド化する社会で僕らはもはや何もしないことが正解なのかもしれない。この社会のシステムに抗う方法。雷鳴が轟く中でクールに振る舞うにはそれしかないように思えた。

しかし僕はいったいその物語のどこに当てはまるのだろう?

動物化するポストモダンの世界で僕は何もしないことを選択し、大きな渦の中に引き込まれていく。それに一体どんな意味があるだろう?

僕は目を閉じ考えを巡らす。

僕の思う「脱最適化ムーブメント」はただ立ち止まることじゃない。あえて飛び込むんだ。虚構をこの現実につなぎ合わせることによってこの世界の文脈を理解する。そして僕は多分、この喪失を繰り返す世界の物語の中での自分を自分の作品によって位置付けしているんだと思う。「脱最適化ムーブメント」を伝えるための潜世界はその意味をも内包している。まだまだ取り留めも無いのだけど、この世界に流されないために僕はこのムーブメントこしらえ音楽で表現して行こうと思う。

でも、僕には才能があるかと聞かれたら、わからないと答えると思う。音楽をやるのはすごく楽しいけどさ、それで飯は食うのはとても大変なことだからだ。何かをうまくやることと、何かを本当にクリエイトすることのあいだには、大きな違いがある。僕はけっこううまくできると思う。褒めてくれる編集者やプロデューサーもいるし、褒められるともちろん嬉しい。でもそれだけだ。

「ライフワークとしての音楽」と響きはいいものの、酸っぱい葡萄のようなもので、まだちゃんと音楽家として生きていこうという責任は生じていないのかも。(少しはあるが)

それでも僕は音楽を続けていたいと思う。本物のクリエイトに出会うために

でも僕は僕を常に開拓していかなければならない。心や感覚が老いていってしまうからだ。

これは食えるか食えないかの問題ではない。好きか好きじゃないかの問題だ。若いうちに知らない世界に飛び込むのはとても大事なことだと思うし大切なことだと思う。良いご飯を食べたり、本や映画に時間をかけたり、感覚的に好きな事はずっとやっていたい。本や映画、音楽を聴いたり観たりするたびに自分の中で何かが蓄積され何か成長しているような感覚になるからね。

だから常に内省と想像力と縁のある生活をしていたい。なぜならばそれが僕にとっての生きるという事だからだ。若さを若さ故に台なしにしてはいけない。バイトや仕事でワークホリックになってしまう。最悪死んでしまう友達だっているかもしれない。僕らが思っている成熟は誰かの”同じ“という感覚でしかなく所詮、恣意的なものでしかないのだから。

僕はその恣意的な同一性に対して常に疑ってなければいけない。常に流されてしまうような人間になってはダメだ。そして曖昧な他人のレールに乗るになるのではなく、自分が真に本当にクリエイトできることを探さなきゃいけない。

うまくやることと本当にクリエイトすることの間には大きな隔たりがある。本当にクリエイトすることとは真に自分が思う想像力そのものと人の感性を貫通させる想像力であるということ。僕はこれに出会うために音楽を続けたい。今はそんなモチベーション。だから来年はもっともっとエモを研ぎ澄ませ。エゴに抑圧されるな。そして本当のぼくに出会え。

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