エンドロールが流れ始める。そこは暗闇で、静かな余韻が尾を引いて演者たちの名前が下から上と表示される。

僕はあの時間を、思ったことを言語化する時間と決めている。その映画を見てどういうこと思ったのか、どんな描写があって、どんなことを伝えたかったのか。大きな余韻に浸る。その感動が、静かな力となって動き出す時があるのだ。

だからエンドロールには微妙な魅力があって、これに人は引きつけられる。

僕はそこまで作品数は見てはいないが、映画が大好きだ。それは、憧れの先輩からデビットフィンチャーのゲームを勧められたことに始まる。

映画を観てる時だけ、現実から切り離された空間に僕がいて自分を客観的にみれるから映画はいい。自分とその世界全体を見渡したカメラアイによって俯瞰されている気分になる。そこにナレーションがかかり、自己を再確認できる。そんな感覚になる映画が僕はたまらなく好きで、時間があれば作品を観る。


Michael Douglas and David Fincher in The Game (1997)

デビットフィンチャー作品はいわゆるどんでん返し展開と言うやつだから、中学生の頃の僕にはかなりの刺激でかなりの衝撃だった。そこからデビットフィンチャー作品を狂ったように見始めた。

映画館で映えるような黒を基調とした映像美も、独特なテキストやアングラなサブカル的な世界観も全部好きだ。

どんどんはまっていってTwitterで映画アカウントを作ることにした。周りのユーザはこぞって最新作の映画やDVDで観た作品をレビューしている。なんだかそれがかっこよくて自分も見よう見まねでその日見た映画の感想を綴ることにした。

これが僕のライティングの原体験かもしれない。無意識的に言語化する体験をしていた。
見終わった後にどうやってツイートしようかと、考える。何が言いたいのか何が良かったのかを。

僕は何事も言語化できると思っていて、逆に言語化できない事はまだ自分の中で消化しきれていないことだと思っている。それは語彙力だとかじゃなくて、自分で思ったことを自分の言葉で表現する力だ。

もちろん「不完全」を真摯に静観してこそ生まれる情動も尊いが、自分と言う言葉の方舟に乗せて波になる事はとてつもなく重要なことだと思う。

アウトプットこそ全てじゃん。それを見てどう思ったか。だから僕は映画を観た後にあれやこれやと間髪入れずに饒舌になる。

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だからエンドロールは意味深い。別にマナーとかではない。感想なんて人それぞれで学や才も関係なく語り合うのだ。人によって思ってることが違って、その人その人に独特の話しぶりがある。

もちろん言語化できないほどの何か超越した圧倒的熱量にやられることもしばしばある。でもそれをしわくちゃにして言葉にする。大体そういう時は「エモい」しか出てこないけど、それはそれで楽しいからいい。

だから言語化することを拒むな。恥ずかしいと思うな。自分の思ったことを自分の言葉で伝える事は存外面白い。

そう、美しいとりとめのないことをあれやこれやと語ろうよ。はかない夢から覚める前に…

この記事を書いた人

おっかー

自分の体験したことを中心に文章を書いている学生です(18)
“暮らしにイノベーションと体験を。”をキャッチコピーに新しい文化やその広め方にフォーカスを当て、このブログの管理人をしています。
okkaaa名義で楽曲も配信中。Spotify他、ストリーミングサービスにてご利用いただけます。映画はデビットフィンチャーの作品が好きです。